尾白川本谷から甲斐駒ケ岳

2009年7月18日〜20日尾白川本谷を遡り、甲斐駒ケ岳山頂から黒戸尾根を下るという、2泊3日の旅をした。toshizoさんが愛して止まない、白と緑の世界にとうとう踏み入れることになった。メンバーは冒険家夫婦toshizoさん、 Qちゃん、そしてtunocciだ。
花崗岩を流れる水はエメラルドグリーンとなっていた。沢の中を淡々と進むtunocciの後姿は、まわりの風景に違和感なく溶け込んでいるようだった。
様々な形をした岩、そしてその岩を流れる滝は一つとして同じものは無かった。立ちふさがる滝と向き合い、どう乗り越えるか考え込む。その行為を何度も繰り返した。
広いこの沢はスケールが大きく圧倒されたが、意外と登れる滝は多かった。スラブ状の岩を沢靴のフリクションをきかせ登っていった。
toshizoさん得意のハイステップ、そのあとを身軽についていくQちゃん。信頼関係と経験の深さからか、厳しい状況にもかかわらずこの二人は落ち着いていた。
なかなかいいビバーク場所が見つからず苦労したが、地面をならし何とかツエルトを張った。小雨で冷えた体を焚き火で温めた。湿った木は燃えにくく、焚き火にも苦労した。雨も止み、夜が更けていった。結局、シュラフとシュラフカバーだけで寝ることができた。
2日目、天気はあいかわらずの曇り空。すっきりとしない気分が、厳しい滝を前に一気に吹っ飛んだ。巻く選択肢もあったのだが、toshizoさんの「どうする?」という質問の裏に見え隠れする「行けんじゃねえか?」と燃える想いを汲み取った私は深い淵へと向かった。リュックが浮きすぎて頭が水の中にもぐり、息ができなくおぼれかけた。そして不安になり何度か引き返そうとしたのだが、自分でも不思議と冷静に滝の落ち口まで進むことができた。淵から這い上がり、滝の流れに足をとられつつも上へ、上へとステミングでジリジリ登った。登りきったあと、雄叫びをあげた。しかし、実際にはそういう精神状態ではなく、むしろ疲れと助かったという安堵感だけだった。
そして、またも難関の滝が現れた。とにかく岩がでかい。ここでは巻くという選択肢はなく、しばらく滝の前で考え込んだ。うまく打ち込まれてあったハーケンと、toshizoさんが追加したハーケンを頼りにスリングをあぶみとして使い登った。登りきったあと、胎内くぐりと呼ばれている大岩の間を通り、もう一度生まれた気持ちになった。
長くガレた急斜面をtoshizoさんが登りきり、近くの岩にセルフビレイを取り、自分の体を利用してのビレイ(ボディビレイ)をしてくれた。その場にあるものを使う、これぞまさに沢屋だ。
ガレた沢を詰める最後の急登はつらかった。それでもtoshizoさんがピンポイントで稜線に出る道を行き、「六合石室」に着いた。無人小屋であるこの小屋は石を積み上げ作られている。質素で堅固な造りの小屋の中は激しく降る雨や風から完全に守られていた。この小屋の存在を以前から知っていたのだが、訪れることができとてもうれしかった。
3日目、青い空がやっと見えた。甲斐駒山頂を目指す稜線からの景色はすばらしかった。遠く北アルプスには槍ヶ岳の槍が一目でわかった。そして、なにより目標である鋸岳がその独特な稜線を従え、私たちの後ろで待ち構えているかのように存在感を出していた。甲斐駒ケ岳山頂をあとにし、黒戸尾根を下った。標高差2100mは私の右ひざの爆弾がいつ爆発するのか、心配させた長い下りだった。tunocciとtoshizoさんはカモシカのように駆け下りていった。私はQちゃんにリードしてもらいゆっくりと下り、限界間際で登山口へとたどり着き、この冒険の幕を閉じた。

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