2010年12月30日、「・・・寒波の影響で山間部では大荒れの予想です。正月登山には十分気をつけてください。・・・」ラジオから天気予報が流れていた。丸盆岳〜鎌崩〜不動岳の計画をトシゾーさんから聞いた時、また恐ろしいことを考えるなと震えた。鎌崩(かまなぎ)・・・無茶だ。以前、2回登った不動岳で、そのもろく崩れた稜線を見て思った。「あそこは行ってはいけない。触っただけで落石が起きるだろう、そしてすぐに滑落だ・・・」鎌崩を思い出しながらトシゾーさんに云った。「トシゾーさん、無理だ。しかもなぜ冬に?」すると「逆に冬だからいいんだ。雪が付いているので、もろい岩も崩れにくくなるんだ。中山尾根もそうだった。あのルートを夏に登ると落石が多く、冬のほうが登りやすい」とトシゾーさんが答えた。そうかと、完全に納得はできなかったが、冒険への誘いにゆっくりと引き込まれていった。
12月31日、寸又峡温泉に車を停め、自転車で千頭ダムへ移動した。千頭ダムで焚き火をしながらキャンプをしたことが懐かしい。自転車でも荷物が重く思うように進まず、始まったばかりの今回の旅に対し不安が募った。千頭ダムに自転車を置き、そこから歩きだした。境界線を横切るようにあるつり橋の名は天地吊橋。つり橋を渡り終えると、いよいよ山歩きが始まった。
さっそく現れるガレ場のトラバースが恐い。落ちたら30mほど下を流れる川へ落ちてしまう。数回ある危険なガレ場を過ぎると道は安定し、山の神が祭られていた場所へ出た。祭られていたのは石像か?祠か?そこには供えられた酒と崩れた石ころが転がっていた。しっかりと祈りを済ませ再び歩き出した。
寒波を心配したが、それほど寒くはなく、むしろ心地いい気温だった。深南部はやはり南に位置しているのだろう。陽の光に透き通る葉の緑に安心した気持ちになった。
深南部では水場が少なく、特にこの旅での水の確保は雪を溶かす方法しかなかった。雪が十分に深くなった1400m付近のなだらかな尾根が1泊目のテント場となった。距離としてはそれほど長くは歩いていなかったが、重たい荷物に疲れていた。それでもテントのために整地し、テントを張り、水のための雪を集めるなどの仕事をしなければならない。疲れ知らずのトシゾーさんはすばやく効率よく動いていた。
? テント場でおもしろい木を見つけた。
その晩は、フリーズドライの甘酒と夕食を済ませ、トシゾーさんの持ってきた携帯ラジオで天気予報を聞きていた。NHK放送だったので紅白歌合戦の話を聞き、大晦日であることを実感しながら、早めに眠りについた。寒波の影響で風が強い晩だった。テントを打つ風の音で何度か目を覚ましたが、十分な睡眠は取れた。二日目の朝、元旦、雪の上を薄紅色のご来光が照らすなか、出発の準備を済ませた。
天気は快晴だが、風が強く、また冷たかった。深南部でよく見る白い枯れ木が、青く澄んだ空を、包むかのように立っていた。「深南部の山はいつも静かだな。この静けさがいいなあ」とトシゾーさんが感慨深く話していた。
標高が上がるにつれ、次第に雪の量は増えていき、膝まで沈むようになってきた。ラッセルだ。先頭を行くトシゾーさんの背中がやけに遠く感じた。先頭のラッセルは大変で、交代するものだが、ついて行くだけで必死だった。強風が相変わらず続いていた。「明日は寒波が収まるかもしれない。今日は丸盆岳山頂前でテント泊して、空荷で鎌崩の下見に行こう。風が強いと鎌崩は越えられないだろうし・・・」とトシゾーさんが提案した。
樹林帯の中から時折見える鎌崩は、その崩れた急斜面から恐ろしさを感じた。トシゾーさんの提案どおりテントを張り、荷物を置き空荷で鎌崩を目指した。二日目でやっと稜線にでることができた。
稜線に立ち、目の前に広がる水窪側の景色に、鳥肌が立つほど感動した。
黒法師岳を懐かしげに眺めるトシゾーさん。
丸盆岳から鎌崩の稜線は岩と樹林帯が混じっている地形となった。
果てしなく続く山々の上に、薄暗い雲が広がってきた。鎌崩の方までもう少し進んで、テントに戻ることにした。
下見の結果、鎌崩を越えるには荷物が重すぎるだろうと判断した。この時点で不動岳へは行かないと決まった。深南部、山頂の楽園と呼ばれる鹿の平でのテント泊はまた別の機会に、ということとなった。そして何より重要なことは天候だ。明日の天気次第で、鎌崩を越えるか?丸盆岳のピストンとなるか?しばらくの間、いろいろな思惑を抱えながら、鎌崩を眺めていた。
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