二日目の晩はテントの中で何度か目が覚めた。仰向けになると、腰の下のあたりの雪が盛り上がっていたため、腰が痛く、そうかと思い横になると下敷きになった腕がしびれ、体勢を変える。そのたびに目が覚めた。夜明け前には眠れずに寝袋の中にくるまったまま、時間が過ぎるのをただ待っていた。じっとしながら考えていたことは、「今日中に下山したい、そして温かい温泉に入って、ふとんで眠りたい」と完全に戦意喪失し、今この場所から逃げ出したい気持ちで一杯となっていた。夕べラジオから流れたガンダーラが頭の中をぐるぐる回っていた。「・・・心の中に生きる、幻なのか、 in ガンダーラ・・・」昨日見た、非日常過ぎる切り立った鎌崩は、恐ろしくも現実だ。
ガスバーナーの火はテント内をすぐに暖め、朝食のラーメンに体も心も温まった。今回の旅でいつも不安をかき立てるように吹いていた風の音は、嘘のように止んでいた。天気予報では晴。トシゾーさんの予測通り、3日目が鎌崩を通るチャンスとなった。日の光を浴び、弱気な気持ちは溶けるようになくなり、すぐに帰ろうと決めていたが、再びやる気が戻ってきた。テントを撤収してから、空荷で鎌崩を越えようと、二人で気合を入れ出発した。風がないので寒さも収まり、順調に丸盆岳山頂から昨日偵察しに来た地点を越えていった。歩きながら足に当たる使わなかったスノーバーに苛立ちながらも、鎌崩に着いた。
ロープを出し、1ピッチ目はトシゾーさんが稜線を降った。「トシゾーさん、ロープあと3m!」35mのロープはすぐに一杯となった。適当な岩にスリングを巻きつけ支点を取った。後でトシゾーさんに聞くことになるが、ここで滑落事故があったそうだ。そうとは知らず、簡単に1ピッチが終わった。
つるべで行くので2ピッチは私がリードしたのだが、最悪のリードとなった。簡単に稜線を登ったが、その先が幅50センチほどの両側の切れた細いナイフリッジとなっていた。「神様・・・」血の気がさっと引いた。しばらく呆然と立ちすくんでいた。滑落しても大丈夫なように、ロープを岩の左に回すように進んだ。右に落ちれば岩が支点となるからだ。とても立っては歩けない状況だった。四つんばいになり、稜線の岩をまたぎながら少しずつ進んだ。雪のついた50センチ四方の岩の上を通過するのだが、その頼りの岩が動いた。その岩は、切り立った稜線の上にただ乗っているだけだった。その岩の上に乗り込む時、恐ろしさのあまり、何回か躊躇していまった。
少し安定した場所で支点を取り、トシゾーさんを振り返った。「この先はもう無理!危険だ!」神経をすり減らしすぎた私は叫んだ。フォローできたトシゾーさんもナイフリッジを越え、その先を見た。「行けそうじゃん!」と笑顔でそう答えるトシゾーさん。
支点をしっかりした場所に替え、3ピッチをリードするトシゾーさんは余裕に歩いていった。ピナクルのある岩があり登れそうだが、向こう側がわからないので岩を左に巻いて登った。フォローで私が行くとトシゾーさんの云うとおり簡単に行けてしまった。岩を巻いた後、アイゼンとピッケルを雪の斜面にしっかりと刺しながら登るルンゼはアイスクライミングのようで楽しかった。
4ピッチ目、難しい所はなく稜線の幅も広がってきた。鎌崩の頭の手前の開けたピークで、帰ることにしたが、またあのリッジを通ると思うと心が沈んだ。
帰りも同じ道を行くというか、この道しかない。同じように恐い思いをし、
最後のピッチをただひたすら登った。全ての行為に気が抜けない。その一瞬に命を込める。
「ウォー!やったー!」生還の雄叫びだった。鎌崩のピストンを達成した。
予想より早く下山ができそうだった。そうすれば、温泉で汚れを落とし、湯で温まることができる。それを楽しみに急いで下りた。雪のせいで登りと下りの時間には大きな差があった。次第に雪がなくなり、最後の難所吊橋手前のザレ場を冷や冷やしながらトラバースし、
山との境界線のような天地吊橋を渡り、山旅が終わった。寸俣峡温泉で暖まった。至福の時だった。今までのアルパインクライミング経験を凝縮して使い切ったこの冒険は私の心に深く刻まれた気がする。トシゾーさん、今度はどんな旅に行きますか?
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